ら世帯道具やらがおいてある。大体母と娘だが、なかには娘だけ二人住んでいるのもあった。
それら姑娘船の娘たちの中にはなかなかきれいなのもいて、パーマネントをかけたりしているが、それは日本のとはちがって支那風にそれをうまくこなしていて、支那服と髪とがよく調和を保っていた。娘たちはうっすらと化粧をほどこしている。また彼女らはいかにもきめがこまかできれいである。すべて油でいためてたべるというその風習のためなのであろうか、きめが大へん美しい。嘉興の煙雨楼は湖中の島なので景色のいいところであった。
汪精衛閣下
上海へ帰って、十三日の朝八時急行で南京へ出発したが、その日の午後三時頃着いた。南京の城内へはいって、首都飯店におちついた。それから着物を着換えて、汪精衛閣下におめにかかることになっていた。午後四時というお約束だったので早速出かけた。
汪精衛閣下の応接間は非常に広い部屋で、菊の花がとても沢山咲き匂うていた。幾鉢も幾鉢も大きな鉢植の菊が、黄に白に咲き薫っている様は実に立派なものであった。砂子地の六曲屏風に鶴を描いたのが立てられてあって、これは日本の画家の筆になるものであ
前へ
次へ
全34ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング