モデルを探した。ところが揚州は古来美人の産地として有名なところであり、唐の楊貴妃もここの産であったという。揚州へ行けばきっとそういう婦人がいるという話をきいたのであった。ところがここの知事さんのところで働いている恰好の支那婦人をさがして駅長さんがつれて来てくれたのであった。私の求めていた支那風のわげを結った中年婦人であった。幸い宿まで来てくれたので、私は思うぞんぶん横向きや、七三向きの写生をすることが出来た。
 その晩は知事さんが招待をして下すった。日が昏れてから俥にのって出かけた。ここのは揚州料理である。揚州料理はちょっとあっさりとして、普通の油っこい支那料理とは趣を異にしているのが珍しい。
 しかし元来私は小食のたちで、鱶の鰭、なにかの脳味噌、さまざまなものの饗応にあずかったがとても手がまわらず、筍だとか椎茸だとかをほんのぽっちりいただいて、揚州料理も参考までに食べたというにすぎない。

        鶴のいる風景

 南京での招宴にも、美しい娘さんに逢うことが出来た。夜はお化粧を濃くしていたが、ひるは極くうす化粧であった。
 さて揚州で一泊したその翌日、屋根のある船で運河を上った。
 娘と母親の船頭で、その日はまことにいい天気、静かな山水、向こうに橋、橋の上に五つの屋根があって、これを五亭橋というのだそうだが実に色彩の美しい橋であった。その橋際で船をとめ、橋の上にあがって向こうをみおろすと、五、六軒の家屋が散在しているのが望まれ、童子や水牛がいたり、羊が放ち飼いにしてあったり、まことに静かな景色である。秋のことであったから花はないが、桃の咲く時分だったらさしずめ武陵桃源といった別天地はこれであろうとおもわれた。
 それから船をすすめてゆく。藪があったり、なだらかな山があったり、私にはその山が蓬莱山のようにおもわれた。そこにはお堂があって、大きい方を平山堂と呼び、小さい方は観音堂というのだそうである。
 その辺の景色がこれまた非常によいもので、沢があって大きな鳥がおりて来たなと思ってみるとそれは何と丹頂の鶴であった。それに見入っていると、いまにも白髪の老人が童子に琴でも持たしてやって来るのではなかろうかとおもわれるほどまるで仙境に遊ぶ心持ちがされた。風景専門の人がいたら垂涎されるに違いない、いい画題がいくらも見あたった。

        蘇州の情緒

 それ
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