感じであった。
 ごみごみとした通りをすぎると、ちょっとした富豪の家があって、中へはいると庭には太湖石が置いてあって、樹木がつくってある。それを出ると青天井の便所があったりする。散髪も戸外でやっている。それを私がスケッチしはじめると、物見高い子供や大人がよって来る。どこも同じ野次馬風景である。散髪屋も客を放りぱなしでスケッチを見にやって来るのである。客はそれでも文句ひとついうでもなく、だまって散髪屋が帰って来て再びとりかかるまでじっと待っている。
 人が沢山たかって来ると何という異臭の強いことであろうか……。
 女の人が店番をしていて御飯をたべている。大きなおはちの中には黄色いごはんが入っていて、おかずもなしにこちこちたべている。とにかく食べられたら結構というのか、そんなものも食べられない人が多いらしいのである。
 扇屋へ買物にはいったら乞食が二人ほどついて入って来た。乞食もなかなか多い。
 玄武湖に行くと、ここには柳が沢山ある。画舫があり、夏は蓮が咲いて美事であるという。その堤に柳が枝を垂れていて、そのあたりに牛が放ち飼いにされている。牛も極めて鷹揚でおとなしいものである。牛同志角突き合いもせずおとなしくのんびりと歩いている。女の子が一人だけついていてのどかな風光であった。
 時には驢馬が通り過ぎてみたり、豚が行列して沢山やって来たりする。そういう京都などではとてもみられない珍しい景色が見られたのである。

        揚州料理

 南京の帰りに鎮江へ行き、そこで花月という料理屋へ行ってみた。
 この家には畳など敷いてあって、むこうの座敷からは三味線の音が流れて来るといったちょっと内地を偲ばせるものがあった。
 軍と連絡をとってくれた兵隊さんも一緒だったが、このような料理屋で皆とくつろいで一杯やるのはいいとみえて、大へん楽しそうにしておられた。
 やがてその兵隊さんの案内で舟に乗って揚州に行き、柳屋という宿屋へ着いた。
 ここでは駅長さんがいろいろと心配してくれた。私は現代化されていない、わげ[#「わげ」に傍点]をゆうた支那らしい女性を写生してみたいと思った。どうも現代支那女性はみな洋風になってしまっていて、若い娘さんはパーマネントをかけている。そうではなしに是非純支那風の女性を描いてみたい。純支那風の人というと中年の婦人にたまたま見かけるだけなので、そういう
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