として賢母でない方はないと言っても過言ではない。
孟子の母も、その例にもれず、すぐれた賢母であった。
孟子の母は、わが子孟子を立派にそだてることは、母として最高の義務《つとめ》であり、子を立派にそだてることは、それがすなわち国家へのご奉公であると考えた。
それで、その苦心はなみなみならぬものがあったのである。
孟子は子供の時分、母と一緒に住んでいた家が墓場に近かった。
孟子は友達と遊戯をするのに、よくお葬式の真似をした。
母は、その遊びを眺めながら、これは困ったことを覚えたものであると思った。明け暮れお葬式の真似をしていたのでは、三つ子の魂百までもの譬えで、将来に良い影響は及ぼさぬと考えた。
そう気づくと、母は孟子を連れて早速遠くへ引越してしまった。
ところが、そこは市場の近くであったので、孟子は間もなく商人の真似をし出した。近所の友達と、売ったとか買ったとかばかり言っている。
三度目に引越したところは、学校の近くであった。
すると果たして孟子は本を読む真似をしたり、字を書く遊びをしたり、礼儀作法の真似をしてたのしんだ。
孟子の母は、はじめて愁眉をひらいて
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