てはすでに不純になってしまっているのですから、これは箱書などできないのが当然と思います。
実を申しますと、こんな場合、決して作品が立派になってはいないのです。この蟋蟀だって誠に拙《つた》ないもので、その点お話にならないものでした。
○
この間ある人の話でしたが、それは東京の川合玉堂先生の作品のことでした。川合先生の水墨山水図へ、盛んに松を描き加えたり、色を塗ったりして、着色画にしてあったそうです。一体こんなことは、誰がなんのためにするのでしょうか。こんな悪い手段を弄するのは、単なる悪戯《いたずら》のためでないことは申すまでもありますまい。こうすれば幾分高価に売れるという企《たくら》みからだろうと思います。ですが、畢竟《ひっきょう》こんなことをして、一時人の眼《まなこ》を晦ますことは出来ましても、ほんとうに画に眼のあいている人は胡魔化しきれるものでないと思います。いずれにしましても、結局迷惑を被むるのは筆者です。そんな物が幸いに発見されたとしても、まさか現在の所有者から、その作品を取り上げて没収してしまうということも出来ませんし、さりとてそのままにしておけば、その変造品
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング