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 武子夫人の無憂華の中の一首であるが、私は武子夫人を憶い出すごとに、この歌をおもい、あの方のありし日の優しいお姿を追想するのであります。

 大いなるものゝ力にひかれゆく……まことに、私たち人間のあゆみゆく姿は、大いなる天地《あめつち》の神々、大慈大悲のみ仏から見られたならば、蟻のあるきゆく姿よりも哀れちいさなものなのに違いありません。
 人事をつくして天命を待つ、とむかしの人が申したように、何事も、やれるところまで努めつくしてみた上で、さてそれ以上は、大いなる神や仏のお力に待つよりほかはありません。

 芸術上のことでも、そうであります。自分の力の及ぶ限り、これ以上は自分の力ではどうにもならないという処まで工夫し、押しつめて行ってこそ、はじめて、大いなる神仏のお力がそこに降されるのであります。天の啓示とでも申しましょうか、人事の最後まで努力すれば、必ずそのうしろには神仏の啓示があって道は忽然と拓けてまいるものだと、わたくしは、画道五十年の経験から、しみじみとそう思わずにはいられません。
 なせば成るなさねば成らぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり……の歌は、この
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