あたりのことをうたったものであろうと存じます。
 人の力でどうにもならないことが――特に芸術の上で多くあるようです。考えの及ばないこと、どうしても、そこへ想い到らないことが度々ありました。そのようなときでも、諦めすてずに、一途にそれの打開策について想をねり、工夫をこらしてゆけば、そこに天の啓示があるのです。
 なせばなる――の歌は、この最後の、もう一押し、一ふんばりを諦めすてることの弱い精神に鞭打つ言葉であろうと思います。
 ならぬは人のなさぬなりけり――とは、人が最後の努力を惜しむから成らぬのであるということで、結局最後は天地の大いなる力がそこに働いて、その人を助けるのであります。

 一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります。
 もっとも、天の啓示は、そうでない人にも降っているのかも知れません。が、哀しいことに、その人は一途なものを失っているので、その有難い天の啓示を掴みとることが出来ないのであります。
 天の啓示は、いろいろの形で、いろいろの場所へ現われるものであります。
 絵のほうにしましても、時には、朝焼雲、夕焼の空の色に、それを示して下さることもありま
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