であったと思います。
○
兎に角、春信以下、たいていは錦絵の方が肉筆よりも一段上だと思われました。ですから自然、錦絵の価値と申すものは、作家その人の手腕にばかり帰してしまうわけには参りかねるのじゃないでしょうか。あの彫りの巧《うま》さ、刷り上げの巧さ、そういうものが重なり重なりして、あの纒まった芸術品が出来上るのですから、私は作家のみならず、そういう工人たちにも多くの手柄があるのだろうと考えております。
肉筆で見ますと、筆の調子は、あんなにまで暢《の》びた、繊細な美しさを有《も》っているようにはありません。もっと堅い感じのものが多いのですが、それが錦絵になりますと、とても暢び暢びとした、繊巧《せんこう》なものになっております。これなどは確かに、彫工の水際立った手際が、線条をあれまでに活かして柔げたものであろうという判断が下されます。
次に色彩ですが、これなども錦絵の方が、ずっと優雅な味のある深みのある、風韻《ふういん》のあるものになっています。これはむろん刷工《すりこう》の優れた手際と、それに感じの巧みな点に帰せなくてはならないかと思うのです。
こんなわけで
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