眉の記
上村松園
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)御匣殿《みくしげどの》
[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]
−−
眉目秀麗にしてとか、眉ひいでたる若うどとか、怒りの柳眉を逆だててとか、三日月のような愁いの眉をひそめてとか、ほっと愁眉をひらいてとか……
古人は目を心の窓と言ったと同時に眉を感情の警報旗にたとえて、眉についていろいろの言いかたをして来たものである。
目は口ほどにものを言い……と言われているが、実は眉ほど目や口以上にもっと内面の情感を如実に表現するものはない。
うれしいときはその人の眉は悦びの色を帯びて如何にも甦春の花のように美しくひらいているし、哀しいときにはかなしみの色を泛かべて眉の門はふかく閉ざされている。
目はとじてしまえばそれが何を語っているかは判らないし、口を噤んでしまえば何もきくことは出来ない。
しかし眉はそのような場合にでも、その人の内面の苦痛や悦びの現象を見てとることが出来るのである。
私はかつて麻酔剤をかけられて手術をうけたあとの病人を見舞ったことがあるが、その人はもちろん目を閉じたままベッドに仰臥していたが、麻酔がもどるにつれて、その苦痛を双の眉の痙攣に現わして堪えしのんでいるのをみて、これなどいささか直訳的ではあるが、眉は目や口以上にその人の気持ちを現わす窓以上の窓だなと思ったことであった。
同時に以前よんだ泉鏡花の「外科医」という小説を思い出したのである。
ながねん想いこがれていた若い国手に麻酔剤なしで意地の手術をうけたかの貴婦人も、手術をうけながら苦痛をこらえ、いささかの苦痛もないかのように装うてはいたものの、美しい双の眉だけはおそらく千言万句の言葉を現わし、その美しい眉は死以上の苦しみをみせていたことであろうと思った。
美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉であろう。
口元や鼻目、ことに眉となるとすこしでも描きそこなうと、とんだことになるものである。
しりさがりの感じをあたえると、その人物はだらしのないものになってしまうし、流線の末が上にのぼればさむらいのようになって折角の美人も台なしである。
細すぎてもならず、毛虫のように太くてもならず、わずか筆の毛一本の線の多い少ないで、その顔全体に影響をあたえることはしばしば経験するところである。
眉が仕上げのうえにもっとも注意を払う部のひとつであるゆえんである。
眉も女性の髪や帯と同様にそのひとの階級を現わすものである。
王朝時代は王朝時代でちゃんと眉に階級をみせていた。眉のひきかた剃りかたにも、おのずとそのひとひとの身分が現われてい、同時にそれぞれ奥ゆかしい眉を示していたものである。
上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]女房――御匣殿《みくしげどの》・尚侍《ないしのかみ》・二位三位の典侍《すけ》・禁色をゆるされた大臣の女・孫――の眉と、下位の何某の婦の眉と同じということはない。
むかしは女性の眉をみただけで、あれはどのような素姓の女性であるかということが判った。そこにもまた日本の女性のよさがあったのであるとも言えよう。もちろん素姓のことは眉をみるまでもなく、その人の髪や帯その他のきこなし[#「きこなし」に傍点]を一見しただけで判るには判ったのであるが……
もっとも今の女性でも、眉の形でそのひとがどのような女性であるかが判らないでもない。
しかし往古の女性のような日本的美感の伴わないものの多いのは残念である。
せっかく親から享けたあたら眉毛を剃り落し、嫁入り前の若い身で一たん青眉にし、その上へすすきの葉のようにほそい放物線を描いたりしているのは、あまり美的なものとは言えないのである。
その放物線の果てがどこで終るのかと心配になるほど髪の生えぎわまでものばしている描き眉にいたっては、国籍をさえ疑いたくなるのである。そのようにして自分の顔の調和をこわさなくてはならぬ女性というのは、一体どういう考えを自分の顔にたいして持っているのであろう。ああいう眉に日本女性の美しさは微塵も感じない。
感じないはずで、その拠って来たところのものがアメリカ女優の模倣であるから、日本の女性にしっくり合わないのは当然すぎるほど当然の理なのである。
私はもちろん美しい新月のように秀でた自前[#「自前」に傍点]の眉に美と愛着は感じてはいるが、その秀でた美しい自前[#「自前」に傍点]の眉毛を剃り落したあの青眉にたまらない魅力を感じているひとりなのである。
青眉というのは嫁入りして
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング