子供が出来ると、必ず眉を剃り落してそうしたものである。
これは秀でた美しい眉とまた違った風情を添えるものである。
結婚して子供が出来ると青眉になるなどは、如何にも日本的で奥ゆかしく聖なる眉と呼びたいものである。
いつの頃からかこの青眉の風習が消え失せて、今では祇園とかそういった世界のお内儀さんにときどき見受けることがあるが、若いひとの青眉はほとんど見られない。まして一般の世界にこの青眉の美をほとんど見出すことは出来ない。
青眉は子供が出来て母になったしるしにそうする――言い代えれば母の眉とも称うべきもので実にめでたい眉なのである。
十八、九で嫁入りして花ざかりの二十歳ぐらいで母になり、青眉になっている婦人を見るとたまらない瑞々しさをその青眉に感じるのである。
そして剃りたての青眉はたとえていえば闇夜の蚊帳にとまった一瞬の螢光のように、青々とした光沢をもっていてまったくふるいつきたいほどである。
そのうえ青眉になると、急に打って変って落ちつきのある女性に見えるのである。もちろん母となった故もあろうけれど……
私は青眉を想うたびに母の眉をおもい出すのである。
母の眉は人一倍あおあおとし瑞々しかった。母は毎日のように剃刀をあてて眉の手入れをしていた。いつまでもその青さと光沢を失うまいとして、眉を大切にしていた母のある日の姿は今でも目をつぶれば瞼の裏に浮かんでくる。
私は幼いころのいちばんものごとの記憶のしみ込む時代に母の青眉をみて暮していた故か、その後青眉の婦人を描くときには必ず記憶の中の母の青眉を描いた。
私のいままで描いた絵の青眉の女の眉は全部これ母の青眉であると言ってよい。
青眉の中には私の美しい夢が宿っている。
底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日発行
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2004年5月8日作成
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