日本画と線
上村松園
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)零《こぼ》れる
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](大正十二年)
−−
日本画 美人画 風俗画 それがこれからどうなってゆくかと申すことにつきましては、いろいろと斯道の人達にも議論せられているようでございますが、いずれに致しましても、どうかしてこの日本特有の絵の心を失わずに持ち続けたいものだと存じます。
それで、この「日本画」殊に風俗画の特有な妙所は何処にあるかと考えてみますると、まず主にそれは絵筆の尖端からいろいろな味を以て生れて来て、自由自在に絹や紙の上に現われてくる「線」そのものであろうと思います。
日本画の線と申すものは、この絵を作る上に於て最も重要なもので、日本画にこれがなかったら、日本画というものはまず無いと言ってもいいものかと存じます。でありますからこの線一つでその絵が生きも死にも致します。仮りに今ここに一つの風俗画が描かれてあったと致しますと、その絵が画として齎すところの効果の大部分はまず線に帰せなくてはならぬと思います。
それほどこの線というものは日本画に取って重要な役目を持っているものでございまして、色彩を施すという技量よりも線を描くという技量の方がどの位重きをなしているか分りません。
前に申します通り、線なくしては日本画は成立ちません。彩色をしなくとも絵は画に成り得ますけれども、線なくしては画に成り得ません。成り得ない事はないとしても、線を全然無視する事は出来ないものであります。
そればかりか、実を申しますと、線だけで最も巧妙に出来た日本画は、まず色彩を施す必要のない程その画が貴い価値のあるものであろうと思います。こういう画には却って色彩を施すことはむだな事だという外はございません。私などでも往々そういう場合がございます。自分でやや満足に線が描けたと思います時には、どうもそれに彩色するのが惜しくて堪らないことがございます。
これほど私どもは線に重きをおいて居りますが、今の若い画家達……新進の人ばかりではございません、中には私等古参の方までが、とんとこの線ということに放縦になりまして、むやみとこてこて色を塗ることばかりを能事としている方が多くなったように見受けられます。
日本画の線は、その走り具合や、
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング