のであるが」
楠公の絵がある以上夫人の像も是非おきたいものである――との声が上って来たので、それで御無理を申しに来た次第である、とことの次第を話されたので、私は楠公夫人の偉大なる人格に敬服しているところでもあり、一は彩管報国の念やみ難いものを抱いていた矢先だったので、即座に承諾したのであった。私は昭和十六年四月十七日の湊川神社の大祭に神戸へ赴き神前にその旨を御報告お誓い申しあげて来た。
ところが、困ったことに、楠公夫人の面影をつたえる参考のものは残っていないということであった。
どこへ問い合わしても楠公夫人の肖像は残っていないとの返事に私は、
「これは並大抵の仕事ではないぞ」
と、心ひそかに思ったことであった。
楠公夫人久子は、河内国|甘南備《かんなび》の郷字矢佐利の住人、南江備前守正忠の末の妹で、幼い時に父母に訣れ、兄正忠夫妻の教育を享けて成人した淑徳高い女性である。
それで南江備前守の肖像でも――と探してみたがこれも入手出来ず、
「久子夫人という方は、一体どのような顔立ちの方であったろう?」
そんなことを案じているうちに、一年はすんでしまった。
湊川神社には、すで
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