しょうかしら? そうしなければ、モダンな味というものは出せないものでしょうかしら? モダンにするために、何もそうわざに品を落して薄ッぺらな絵にしなくても、いいように私は思います。

 あんなに岩ものを盛上げたから、それで絵の厚味が出たと思うのが間違いだと思います。絵の奥の奥からにじみ出す味、それは盛上げたばかりで出るものではないということが、わからないのでしょうか。

 今年は伊東深水《いとうしんすい》さんの「秋晴」がえろう評判でしたが、あけすけにいえば、私は一向感心しませなんだ、どうもまだ奥の方から出ているものが足りないと思います。
 伊藤小波《いとうしょうは》さんの「秋好中宮」は昨年のお作の方が、私には好きだと思います。大きく伸ばしたのでいろんなものが見えたのかも知れません。
 和気春光《わけしゅんこう》さんの「華燭の宵」は怖い顔の花嫁さんやと思いました。
 木谷千種《きたにちくさ》さんの「祇園町の雪」を見ると、ズッと昔の「をんごく」などの方を懐かしく思い起こさせられます。

 私はもう年をとってしまいまして、モダンな現代から置いてけぼりを食ってしまったのやと思います。そうかといっ
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