に、鮮かな匂いを見せた秋の日射し。それは身体の中を洗いきよめてゆくようであった。
 松篁が三年前に此処に立った時には、激戦当時を想像させる身の気のよだつようなものがあり、あたりには枯骨も見えたということであった。なかには絵に描かれているような髑髏《どくろ》がそこはかとない秋草を褥《しとね》にすわっていたという土産話も、今では嘘のようである。
 私たちは当時の一人一人の勇士の顔形を胸に描き合掌する気持で秋の日射しの中を歩いて帰った。

     支那の娘

 首都飯店にあった宴会で私は上品で可愛い給仕娘に眼をとめた。私は滞在中その娘を借りて来てスケッチした。一人で来て貰うと何処かかたくなって気詰りらしいので朋輩を一人連れて来てもらうことにした。そして二人が話しあったりしているなかから、支那の娘の自然の姿態を描きとってゆくことにした。
 この娘にしても、純粋な本来の支那を持っているわけではない。どこの娘もがそうであるようにすっかり洋化されている髪形である。といって日本の娘の上に考えられる洋化とも違う。そこにはやはり昔からの支那風にこなされ渾然としたものを醸《かも》し出しているのであろう。楚
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