々《そそ》とした感じは一点の難もないまでによく調和したものになっている。
 そこにゆくと支那の児童達は昔の支那をよく残している。日本の子供といえば、頭の恰好はほとんど定っており、男か女の子かも大体一眼でわかるのだが、支那の子供達の頭は大袈裟にいうと千差万別といってよい。前額に二、三寸に梳《くしけず》れる程の髪を残してあとは丸坊主の子、辮髪《べんぱつ》風に色の布で飾ったお下げを左右に残すもの、或は片々だけに下げているもの。絵にある唐子《からこ》の姿で今も南京上海の街、田舎の辻々に遊んでいる。
 莫愁湖の畔にもの寂びた堂があり、そこでは付近の子供を二、三十人集めて寺子屋のような学校がひらかれていた。その二、三十人がみんなその唐子達である。私たちが近よると物珍しいと見えて、その唐子達はついて来る。私は面白がってそのなかの一人の頭に手をやると、その唐子は驚いたようにして逃げて行ってしまった。

     秦淮《シンワイ》にて

 楊州で画舫《がぼう》を漕いでくれた母親の方にはまだまだ昔の支那が残っていたようである。私は秦淮の街にスケッチに出かけて、そういう女も写したりした。そこには画舫も沢山浮
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