は型ばかりの手土産にと持参した色紙をお贈りしたが、これもあふれるような笑顔で受けて貰えた。そして、
「画風はどんなものか」というように聞かれたので、私は風俗をやっていると答えたりした。
帰りに眼にはいった次の間には、日本の具足が一領飾られてあったようであった。
同じ南京では畑支那派遣軍総司令官閣下に御挨拶に参上した。後宮総参謀長その他の幕僚も御一緒であったが、畑大将は私が杭州で風邪をひき、二日ばかり微熱のために静養したのを土地の新聞か何かで御存じであったのであろう、
「杭州でお悪かったそうだが、いかがです」という風にたずねられた。
「お蔭様で、もうすっかりなおりましたので……」とお答えすると、
「それはよかった。然しまあ無理をしないように……」と言われた上に、追いかけるようにして、
「それからどんなことがあっても生水だけはのみなさるな」
と、細かい注意をして下さるのであった。これは常々兵隊の身を案じ続けていられる心遣いが私のような者の上にも泌《にじ》みでるように出たお言葉であろうと胸に響くものがあった。大将こそ身体を御大切に、ついそう念じないではいられなかった。
これはまた汪主
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