所、風呂場もある大きな防空壕が廃墟のように残っている。いずれ支那兵あたりが使用したものであるが、いまはそれも見世物で、私達が近よってゆくと、五つ六つの襤褸《ぼろ》をまとった女の子が、
「今日は……」
と、日本語で声をかけて案内にたった。
ひとりひとり蝋燭を一本ずつもたされ壕にはいると、女の子はまた日本語で、
「アスモートに御注意下さい」
という。足許といっているのである。そして見物し終ると、これも日本語で、
「案内賃下さい」
と、片手をつき出して実にはっきりと事務の如くにいう。ほかに十二、三の男の子も案内にたっているのだが、とてもこの敏捷な幼い女の子には敵《かな》わない。男の子がうしろの方でもじもじしている間に、女の子はさっさと一行の案内賃を請求しているのである。私達は笑いながら銭をつかませてやった。
蘇州の寒山寺、獅子林、明孝陵。鎮江金山寺、杭州の浄慈寺、それに前に書いた平仙寺、雲林寺という風で、従って仏像も沢山見た。実に沢山ある。だがそれは数ばかりでその容姿風貌には日本の仏像のように尊いところがなかった。これらの仏像がつくられた頃から、支那の現在の国運はすでに定っていたの
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