た。出来るだけ各地の部隊病院はお訪ねしたいと思っては来たが、私の場合は慰問という字はあてはまらないかも知れない。かえって兵隊さん達に親切にされる、それをよろこんでお受けする、それで兵隊さん達が満足される、それをせめてもに思って貰うほかはないといった塩梅《あんばい》である。病院でも年寄の女がはるばる来たというためでもあろうか、白衣の方々を一堂に集めて挨拶をお受けしたりした。これではまるで逆になり、勿体なくて困るので、次からは集って頂くのは遠慮することにして貰った。
蘇州にて
陳さんの家では菊の真っ盛りであった。京都でも今頃はそうだろうと思うよりも、支那にこんな立派な菊の育て方があったのかと不意をうたれた気持の方が先であった。陳さんは前の省長で私達は御馳走になったうえに御家族の方々とこの立派な菊の鉢を前にして写真を写して貰ったりした。菊はほとんど私の肩にも及ぶほどであった。
此処では妙なことから支那の田舎芝居の楽屋で写生帖をひらいたりした。
お迎えをうけた特務機関長がお話好きで、あれこれと時間を過ごしたのだが、話が丁度支那芝居のことにおち、それでは一度御覧なさいというこ
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