桃の木がある。
「あれが咲いている頃やあたらな」
 と、花の色を心のなかに描いて、どんなによいだろうと息をのむ。
 遠景の山には平山堂、観音堂などの堂がある。田圃には翼を悠々とうって丹頂の鶴が舞っている。澄み透るような静かな陽射し、このさまをみては武陵桃源という文字もありそうなことだと思うし、白髪の仙人が瑟《こと》をもった童児を従えている図も絵空ごととは思えない風景である。
 またしても思うのは戦争など何処でしているということである。野鳥も打たれぬ風習に狎れ、悠々と自然のなかに溶けこんでいる。これが支那の本来の姿なら、これをわれから好んで戦禍に巻きこんでいった為政者の罪は一目でわかることである。白い紙をいたずらに墨で汚しているような勿体《もったい》なさと、押しあげて来る憤りに似たものが私にも湧いた。
 楊州でお目にかかった兵隊さん達はもうすっかりお友達になってしまい、その夜は楊州に宿《とま》って明朝蘇州にゆくのだというと、どうでも部隊にとまれとまれと熱心にすすめた。部隊だって立派な設備があるから不自由はさせないと、まるで久々に来た親類の者をとめでもしているように無邪気に明るい人々であっ
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