小食な私はほんの形ばかり箸をつけるばかりで、そのため迷惑を感じるようなこともなかった。天気にも非常に恵まれ蘇州で少し降られただけである。こうして終始平静な旅を普段とあまり変らぬ状態で続けている気持は、日本と支那とがいかにも近く考えられるのだった。東亜共栄圏という文字が実にはっきり来るのである。
船が揚子江を上り、上海近くなると知名の新戦場も甲板の上から指呼のうちにあるのだが、それには狎れた乗客達なのかみな近づく上海の方ばかりに気をとられている風であった。もう戦場という気持はすっかり洗い去られているのであろう。それにつけてもこれまでにした兵隊さん達のことを思わずにはいられない。これは恐らく支那を歩いている間、誰の胸をも離れない感懐だろうと思う。
楊州にて
娘と母親が漕ぐ画舫《がぼう》は五亭橋へ向っていた。朱の柱の上に五色の瓦を葺《ふ》いた屋根、それに陽が映えた色彩の美事さもあることであったが、五亭橋の上にあがっての遠望は、まさに好個の山水図であった。
楊柳をあしらった農家が五、六軒も点在したろうか。放し飼いの牛が遊んでいる。悠々たる百姓の姿が見える。いまは葉を落とした
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