席にお会いしたときと、違った気持で、まことに感銘の深い思いであった。

     光華門にて

 南京の城内には博物館があると聞いた。私は大きな収穫を期待し、是非にと見物に出かけたのだが、先ず第一に絵画というものが新古ともに無いのに失望してしまった。或は戦争に巻きこまれぬ前はこうでもなかったのかも知れないが、まことに落莫《らくばく》としたものである。模様や字様のものの細々と彫っている大きな玉板であるとか、あまり風懐に富んでもいない石仏とか、いずれは考古学上にはそれぞれ由緒あるものであろうが、おかしな言い方であるが、妙に重いもの、かさばるものばかりであるといった感じだった。それにあまり珍しいとも思えぬ動物の剥製など。私の眼をひいたものと言えば種々の墨ぐらいのものであった。相当よいもので、これも装飾用のものでもあろう、大きなものであった。
 皇軍の尊い血の匂いのまだ残っている新戦場としての光華門では、当時此処の戦闘に参加した将校さんの説明を聞いた。四辺は既に片づけられ、此処に散華した勇士達の粗末な墓標が、まだ仮りの姿で立っているだけであるが、季節も丁度こんな頃ではなかったのか、澄み透る空気に、鮮かな匂いを見せた秋の日射し。それは身体の中を洗いきよめてゆくようであった。
 松篁が三年前に此処に立った時には、激戦当時を想像させる身の気のよだつようなものがあり、あたりには枯骨も見えたということであった。なかには絵に描かれているような髑髏《どくろ》がそこはかとない秋草を褥《しとね》にすわっていたという土産話も、今では嘘のようである。
 私たちは当時の一人一人の勇士の顔形を胸に描き合掌する気持で秋の日射しの中を歩いて帰った。

     支那の娘

 首都飯店にあった宴会で私は上品で可愛い給仕娘に眼をとめた。私は滞在中その娘を借りて来てスケッチした。一人で来て貰うと何処かかたくなって気詰りらしいので朋輩を一人連れて来てもらうことにした。そして二人が話しあったりしているなかから、支那の娘の自然の姿態を描きとってゆくことにした。
 この娘にしても、純粋な本来の支那を持っているわけではない。どこの娘もがそうであるようにすっかり洋化されている髪形である。といって日本の娘の上に考えられる洋化とも違う。そこにはやはり昔からの支那風にこなされ渾然としたものを醸《かも》し出しているのであろう。楚々《そそ》とした感じは一点の難もないまでによく調和したものになっている。
 そこにゆくと支那の児童達は昔の支那をよく残している。日本の子供といえば、頭の恰好はほとんど定っており、男か女の子かも大体一眼でわかるのだが、支那の子供達の頭は大袈裟にいうと千差万別といってよい。前額に二、三寸に梳《くしけず》れる程の髪を残してあとは丸坊主の子、辮髪《べんぱつ》風に色の布で飾ったお下げを左右に残すもの、或は片々だけに下げているもの。絵にある唐子《からこ》の姿で今も南京上海の街、田舎の辻々に遊んでいる。
 莫愁湖の畔にもの寂びた堂があり、そこでは付近の子供を二、三十人集めて寺子屋のような学校がひらかれていた。その二、三十人がみんなその唐子達である。私たちが近よると物珍しいと見えて、その唐子達はついて来る。私は面白がってそのなかの一人の頭に手をやると、その唐子は驚いたようにして逃げて行ってしまった。

     秦淮《シンワイ》にて

 楊州で画舫《がぼう》を漕いでくれた母親の方にはまだまだ昔の支那が残っていたようである。私は秦淮の街にスケッチに出かけて、そういう女も写したりした。そこには画舫も沢山浮き、古来多くの詩はそこの美しさをたたえている。それほどの名所でありながら、いまはきたない。江水も画舫も思う存分きたない。そこへ安物店の食べもの屋が出ているのである。
 大きな傘を立てただけの店で、油揚げのようなものを売っている女。私は次々とスケッチして歩いた。
 支那の人達は悠々としているという話は度々聞いている。雲雀を籠にいれて野山に出かけ、それを籠から出して大空に鳴かせあって日を暮らすという話などよく聞く。それと同じ気持なのだろう。こういう雑踏した街で、しかも角の真中に女が坐りこんで着物などのつくろいをしている。四辺《あたり》はどうあろうともそこだけはぽかぽかと陽当りよく、余念もない女の針がひかっているのである。
 物静かな京都の街なかでもこんな風にお前はお前、私は私といった風景はみられはしないであろう。
 そういえは此処の自動車は何時間でも人を待っていてくれる。上海のホテルの六階から見おろした表通りに、それこそ何百台と数えられる自動車がずらりと並んで駐車しているのを思いだす。あれだけの自動車がいつ客を乗せる番に廻り合わせるのかと思っただけで気が揉めるであろうのに、支那人は悠々と待
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング