っているのであろう。

     連絡船にて

 往路の長崎丸は静かな船旅であったが、帰途の神戸丸は上海を出離れるとすぐから少しゆられた。人々はすぐ寝こんだので私もそれにならい、ついに船酔いも知らずにしまった。
 長い旅の経験もない私にとって一ヵ月といえば大変なものであるが、過ぎさったものはほんの短い時日にしか思えない。この年になって日本以外の土地に足跡を残したのは思いもよらぬ幸いといわなければならないであろう。だがいま自分は日本に向っているのだと思うと、やはり沸々とした心楽しさがあるように思われる。船特有のひびきは絶えず郷愁のようなものを身体に伝えて来る。
「陸が見えますよ」
 と、いう声は本当になつかしいものに聞こえた。激しい向い風のなかに見え始めた故国日本の姿はまったく懐かしい限りであった。そのくせ帰りついて昨日まで支那人ばかり見ていたのに、四辺《あたり》はどこを見ても日本人ばかりなので、どうにもおかしな気持でしかたがなかった。
 みんなは「支那ぼけでしょう」といって笑っている。あるいはそうかも知れない。まったく支那ぼけとそう呼びたいような疲れが身体のどこかにまだ残っている感じである。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「画房随筆」錦城出版社
   1942(昭和17)年12月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月23日作成
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