たが、先に申しました画学校も一年程しまして改革になり、松年先生は学校を退かれる事になり、その時、私も御一緒に学校を辞めて、それからは専ら松年先生の塾で勉強する事になりました。松園という号も、その時先生からつけて戴いたものです。
 私はその時分から人物画が好きで、その為、一枝ものや、山水、花鳥画はともすると怠り勝ちで、「あんたの描きたいものは、京都には参考がなくて気の毒だ」とよく松年先生が同情して下さいました。しかし、先輩もなく参考画も思うようにないだけに、無性に人物画が描きたくて堪らなく、その時分諸家の入札とか、或はまた祇園の屏風祭りなどには、血眼になって、昔の古画のうちから、私の人物画の参考を漁ったもので、そして夢中で縮図をしたものでございます。考えてみますると私の母も、絵は好きだったものらしく、それが私に伝わっているのかも知れません。私がまだ子供の時分、私はよく母にねだりまして絵草子を買って貰いましたが、私がねだらなくとも、よく自分から買ってきまして、私に与えて下さいました。また、その頃四条の通りに夜店の古本屋が出て居りましたが、その中から絵の手本のようなものを時々見受けてきて、私
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