の北宗の松年先生に師事致しました。女学生は私の他にも各宗に二人位ずつ居られましたが、何れも途中から姿を消してしまい、ただ前田玉英さんだけが残りまして、その後玉英さんは女学校の絵の先生になられたようにうかがって居ります。
 これを見ましても、当時女の身で、絵の道を立て通す事が如何に困難であったかがわかると思います。
 それについて、私はいまでも時々思いだしまするが、私の姉に縁談のありました時、母はかような事はあまり信じない方でしたが、親類達がやかましく言いますので、その当時建仁寺の両足院にお名前は忘れましたが、易の名人がいやはりまして、姉の縁談を占ったついでに、私の四柱(生まれた年、月、日、時刻の四つから判断する)を見まして、「えらいええ四柱や、この子は名をあげますぞ」と言われました。私は七つか八つの時分の事で、はっきり記憶に残ってる訳でもございませんが、母がよく笑いながらこの事を話して呉れましたのが、未だに時々思いださせるのでございましょう。母が自分の身を犠牲にして一心に私に絵の勉強をさしてくださいましたのも、この易者の言葉が陰で相当力を与えていたかも知れません。
 話が横道に外れまし
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング