うか」と絹を颯っ颯っと擦られる。私は側でその可愛いお園さんを写生したこともありました。今だにふとそんな写生帳を見出して思いに耽らされることがあります。
 やはりその頃だと思いますが、日曜日毎に先生は高島屋に行っていられました。そして夜になって帰られるのですが、その頃から御池のお宅の勝手口は門口から石畳みの露地になっていまして、そこをカランコロンと下駄の音がして来ると、アッ先生が帰らはった、とその音で先生の歩き癖が分るのです。ところが先生やとばかり思ってたら塾の人だったということがありまして、塾生は歩き癖まで先生に似るものかと感心さされたことがありましたが、その後気がつきますと西山(翠嶂)さんが莨を喫んで居られるとその手付きが先生にそっくりなのに驚いたこともあります。師匠と弟子との関係はこれでこそほんとうだと思います。絵の方のことでも最初は師匠の真似をして居てもちっとも構わないと思います。真似しないではいられない程に傾倒し、先生を豪《えら》いと思ってこそほんとの弟子の心持だと思います。それを近頃のように個性個性と、訳も分らず手も上がらぬうちから勝手なことをやるような、やらせるような時勢が果していいとも言い切れませぬ。師匠の真似がほんとに出来る程になってからでも個性の発揮は充分に出来ると思います。
 栖鳳先生が亡くなられて今更ながら何や彼やと先生のお豪かったことが思い出されます。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「国画」
   1942(昭和17)年12月号
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング