い不抜の境地をつくってくれている。
 私はその中で花のうてなに坐る思いで――今安らかに絵三昧の生活に耽っている。

 もう十七、八年も前のことである。
 ある日、私の家の玄関先へ、一人の男があらわれて曰く、
「これは米粒ですが」
 と、いって、一粒の米を紙片にのせてさし出した。
 ちょうど、私と私の母が玄関にいたところであったので、妙なことを言い出す男だなと、米粒とくだんの男の顔を見守っていると、
「米粒は米粒ですが、ただの米粒と米粒が違う――これは」
 と、米粒を私の目の前につきつけるようにして、
「この米粒には、いろは四十八文字が描かれてあるのです」
 と、いう。
 見たところ、いやに汚れた黒い米粒で、私たちの目には、いろは四十八文字どころか、いろはのいの字も読めなかった。
「へえ……これにいろはを……?」
 私と母は呆れたような顔をした。すると米粒の男は、
「ただの目では、もちろん判りませんが、この虫眼鏡で覗くとわかるのです」
 そう言って、ふところから、大きな虫眼鏡をとり出した。
 私と母は、その虫眼鏡で、くだんの米粒を拡大した。
 なるほど、米粒の男の言うとおり、全くのほそい
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