のも興味ふかく見たものでした。

   七

 その南画がさかんによろこばれたころ、毎年大きな寺などを借りうけて、南画の大展覧会などがよく催されてゐました。そのころとしては大きな、仮巻につけた沢山の作品が、陳列されてゐたものでした。
 さういふ大げさな催しの事ですから、どうしても経費がかさむ。その経費はどこから出るかといへば、みんな作家たちの手によつてつくられてゐたもので、私などはまつたく別派のものでしたが、尺八などをキツと描いたものでした。これはつまり寄附画だつたのです。しかも、その寄附画を、そのころはなかなか楽しんで描いたものでした。一度も出品などはした事はなかつたのでしたが。
 今日でもその頃の寄附画の箱書が参つたりしますが、それを見るとそのころの生活などがおもはれます。まるで依頼画を描くやうにそれを楽しんで密画を描いたものでした。
 いやそればかりではない。東京の、前の美術院時代に、絵画協会といふ名で、毎年展覧会がありましたが、京都の作家たちが、それとはほとんど関係もないのに、それの経費のための寄附画をかいてゐたものでした。いまからおもふとずいぶん妙なものですが、そのころは、そ
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