。
五
こんな事がありました。
その頃は今日ほど、数多い売立もありませんでしたが、しかし時々真葛ヶ原の料理屋などで催されて居りました。
さう云ふ時には、かかさず出かけて行つて、これと思ふ作品は写し取つたものでした。処が売立に出かけて行くと云ふ場合は、大抵それを買ひに行くお客さんであるべき筈ですが、私の場合は絵を写しに行くので、買ひに行くお客ではない。
ひとつの作品の前に座つて、いつまでもいつまでも、それを写し取る。
見に来た客の、それが邪魔にならぬと云ふ事はないわけです。或る時、いぢの悪い道具屋が、さうして縮図してゐる私の側につかつかと歩みよつて、客のある時はさう云ふ事をして居られると邪魔になるから、お客のない時にしてくれと云ひました。
その頃は今日と違つて写真版の這入つた目録なぞと云ふものが、まだ出来てゐなかつた。定家卿の懐紙ならば、定家卿の懐紙と活字だけで印刷した、簡単な目録よりなかつたものです。だからこれと思ふものは、どうしても手で写し取つて置かなければならない。
私はこのきつい言葉をきいて、その場は静かに縮図帖をふせてそのまま外に出ました。そこは多分平野
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