え際がいいとか、口許が可愛いとか、兎に角部分的に綺麗な人はかなり沢山ありました。けれども何も彼も揃って綺麗な人というと、なかなかいないものだと思いました。第一、あの社会の人だと、何処となく気品に乏しいので、これ一つでもすでに欠点になります。そこに行くと武子さんくらいの人は、よっぽど珍しいと私は思ったことでした。
モデル
大正四、五年頃、私は帝展に「月蝕《げっしょく》の宵」を出そうとかかった時、武子さんにモデルになって貰ったことがあります。といって私は、何も洋画の人のやるように、あらゆる部分をそっくりそのまま写し取ったわけではありません。私の写生の仕方がいつもそうで、彼方此方《あちらこちら》から部分々々のいい処をとってはそれを綜合するというやり方で、武子さんにも立ったり掛けたりして貰って、それを横や後ろから、写さして頂いたのです。
私は時々自分の姿を鏡に映して写生します。それは縮緬みたいな柔かいものを着た時の、褶《ひだ》の線の具合などよくそうして見るのです。そんな場合、自分でやると彼方も此方も双方とも硬くならずに、たいへん自由な心持でよろしいと思います。
底本:「
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング