鴛鴦の睦まじさに見立てたわけなのでしょう。芝居では椀久《わんきゅう》の嫁さんが結っており、三勝半七のお園の髪も確か鴛鴦だったと思います。
昔のおしどりがそのままでは今様にしっくりしないというので、私はそれではぐるりを桃割にし輪毛《わげ》をおしどりにしたらどんなものかしらといったことがあります。京都で日本髷の実際家達がさみどり会[#「さみどり会」に傍点]という会を作って研究しているのがありますが、ある時その会の人が出て来て、何か新しい髷型を考案してくれといわれましたので、私は髷をおしどりにして、ぐるりを江戸ッ子にしたらどんなものでしょうといってやりましたが、早速それをやって見せられました、これはなかなかそれがよいものでした。
裂笄
年増の人には裂笄《さきこうがい》が何ともいえない情のあるものです。形はちょっと島田崩しに似たところがありますが、嫁いで子供でも出来たという年頃の人が、眉を落としたりしたのにしっくりします。
流行
はわせ[#「はわせ」に傍点]にしても裂笄にしても、その他今は廃っていて芝居などに型の残っている髷のいいのがいくらでもありますが、ああした髷を、ぐるりを今風の江戸ッ子にして結って見たら、それは或は橋を架けるとか、または横に笄《こうがい》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]すとかしたら、随分といろいろいいものが相当に出来そうに思います。
どうも今時の人は、ヤレ流行ソレ流行と、着物の柄から髪形から、何も彼も流行となると我れ勝ちに追ッかけて、それが自分に適《うつ》ろうがうつるまいが、そんなことは一切合財考えなしで随分|可笑《おか》しな不調和な扮装《つくり》をしている人が沢山あるようです。御自分ではそれでいいでしょうが、知らぬが仏とやらで、存外平気でいるようですけれど、考えてみると随分変なものです。何とかして自分にあうもの、適《うつ》る形などについて、婦人がそれぞれに自分で考えるようなことになってほしい気がします。
お高祖頭巾
といって、今|流行《はや》っていない髷を結ったりすることは、随分晴れがましいものでもあります。それだけ人目に立つわけなのですから、ほんとうにいいという自信をもってやるのでないと、それこそ恥ずかしい目にあわないものでもありません。
そこに行くと花
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