。その頃の娘さんたちがよくはわせ[#「はわせ」に傍点]に結っていたのを覚えています。はわせ[#「はわせ」に傍点]というのは、今の鬘下地《かずらしたじ》の輪毛《わげ》を大きくしたもので、鬘下地に較べるとズッと上品なものです。
 その頃桃割を結っている娘さんもありました。桃割もいいものだけれど、はわせ[#「はわせ」に傍点]に較べるとどこか味がない気がします。

     揚巻

 日清戦争頃から明治三十年前後にかけて揚巻が流行りました。先年|鏑木清方《かぶらぎきよかた》さんが帝展に出された「築地明石町」の婦人が結ってたのがそれですが、今でもあいさ[#「あいさ」に傍点]にあれを結った人を見受けることがあります。皮肉な意気なものです。
 それをあの当時には、大きく華美《はで》に上げたり、小さくちんまりしたりしていました。その上げ方の大小で名も変わるかも知れませんが、あれによく似た髪形で英吉利巻《イギリスまき》と呼んだのもありました。

     華美な東京の女

 大阪に尾形華圃という閨秀画家がいて、私より三つほど年上でしたが、その人と連なって東京博覧会の時にはじめて東京見物に行ったのでした。日光などにも行って一週間ばかり見物して廻りました。
 何か百貨店みたいなところで、女の人達が年寄や若い人やの行くのを、京都の人達にくらべてけばけば[#「けばけば」に傍点]しいほどに華美に思ったことを思い出します。博物館で会った女の画家を記憶していますが、ハイカラに結って眼鏡を掛け、華美《はで》な羽織を着て、パッとした色の風呂敷を持ったりして、そして何かを縮図していました。えらい上手そうな様子で縮図しているのをちょっと窺いて見て、何や下手クソやないかと思ったりしたことまで覚えています。

     おしどり

 近頃は大した束髪ばやりで、日本髷はとんと廃《すた》ってしまいましたが、私は日本髷の方がどうも束髪より好きです。
 昔から流行った日本髷のうちには随分いいものが沢山あります。今はほとんどすたってしまったものでも何処かに残っています。芝居などでもいい型は鬘にして残っているのです。
 おしどり[#「おしどり」に傍点]なども可愛らしくしおらしいものです。おしどりは元来京風の髷で、島田に捌《さば》き橋《ばし》を掛けたその捌きが鴛鴦《おしどり》の尻尾に似てもおり、橋の架かった左右の二つの髷を
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