てはずいぶんと苦労をしました。

 私は芸妓ひとつ描く場合でも、粋ななまめかしい芸妓ではなく、意地や張りのある芸妓を描くので、多少野暮らしい感じがすると人に言われます。
「天保歌妓」(昭和十年作)などにそれがよく現われていますが――しかし、それも私の好みであってみれば止むを得ません。

「序の舞」は政府のお買上げになったもので、私の「草紙洗小町」「砧」「夕暮」の老境に入っての作の一画をなす、いわば何度目かの画期作とも言うべきものでありましょう。

        夕暮

 私の母はすべての点で器用なひとでありましたが、書画もよくし、裁縫などにもなかなか堪能で、私は今でも母が縫われた着物や羽織などを大切にしまって持っております。
 それはこの上ない母のよいかたみになっているのです。

 私の家は、前述のように、その頃ちきり屋と言って母が葉茶屋をいとなんでおりましたが、その母屋の娘さんの着物など母はよく縫ってあげていたものでした。
 裏の座敷でせっせと、一刻のやすむ暇も惜し気に、それこそ日の暮れがたまで針の手を休められない。
 西陽はもう傾《かし》いであたりはうすぼんやりと昏れそめても、母
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