て、これはこれはと吃驚《びっく》りさせられまして、とてもこれではと思いましたが、何をこれしきのことにと、雪の中をつっきって博物館に行ったことでした。
いつの頃からか私は女の絵ばかり描くようになってしまいましたが、修業を始めました頃は申すまでもなく、何も彼も写しました。もっとも自然好きで人物の絵の方が多くはありますし、その内でも女の絵が一番沢山になりましたようですが、花鳥でも山水でもこれはと思う目ぼしいものはみな写しました。いま出して見ますと、呉道子《ごどうし》の人物もありますし、雪舟の観音もあります。文正の鳴鶴《めいかく》がありましたり元信の山水に応挙の花鳥、狙仙《そせん》の猿……恐らく博物館に陳列されましたお寺方の絵ですと、大抵一通りは写してあります。
確か六曲屏風だったと思いますが、応挙の老松に雪の積もった絵を写しにかかった時のことです。上の方から写し出してだんだん下の方に描き下ろして行きますと、美濃紙で綴じた私の帳面に、その図がはまり切れなくなりました。あと二寸も余地があれば、縮図が纒まるのに残念なことやと思いますと、そのままでやめてしまうのが大変心残りに思われ出しまして
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング