したのである。
 その歌は、内蔵助の胸にどう響いたか、内蔵助はにっこり微笑して、
「さらば……」
 と、言って二文字屋を辞し、翌朝早く東へさして下って行ったのである。

 ある人は言う。
(七尺の屏風も躍らばよも踰えざらん)
 の一句は、内蔵助には、
(吉良家の屏風高さ幾尺ぞ)
 と、響いたことであろう……と。

 哀しみを胸に抱きながら、七尺の屏風も躍らばよも踰えざらん、と歌い弾じたお軽の奥ゆかしい心根。
 それをきいて莞爾とうなずいた内蔵助の雄々しい態度。
 かなしみの中にも、それを露わに言わないで琴歌《ことうた》にたくして、その別離の情と、壮行を祝う心とを内蔵助に送ったお軽こそ、わたくしの好きな女性の型の一人である。

 このお軽の心情を描いたのは明治三十三年である。「花ざかり[#「花ざかり」は底本では「花ぎかり」]」「母子」の次に描いたもので、この故事に取材した「軽女惜別」はわたくしにはなつかしい作品の一つである。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚
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