ので、「こちらへおかけやす」と、その時、春挙さんの隣に空席が出来たので、おとなりにかけました。ちょうどラジオで放送された直後の事でしたので、その話をしていられました。伝統的な手法を忘れて、一体に画壇が軽佻浮薄に流れていけないというようなお話を、しきりにせられていました。
 その時、「膳所《ぜぜ》の別荘は大変立派だそうですね」と言いますと、「あなたはまだでしたか、御所の御大典の材料を拝領したので茶室をつくりました、おひまの時はぜひ一度来てほしい」と言われて、それがもう去年の事になりました。そんなに早くなくなられるとは、とてもおもわれませんでした。
 私が十六、七の頃ですが、全国絵画共進会というのが御所の中で、古い御殿のような建物があって、そこでよく開いていましたが、その時春挙さんが、海辺に童子のいる絵を描かれました。私はその時、〈月下美人〉という、尺八寸位の大きさの絹本に、勾欄のところに美人がいる絵を描いて出しました。それが、一等褒状になりましたが、春挙さんが、それを親類の方でほしいと言うので、私の方へゆずってくれと言われて、持って行った事があります。これは春挙さんのところへ行っているの
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