と誰にでもはやれない地唄の中の許《ゆる》し物を嗄《か》れた渋い声で唄って来る。
 アッ来やはった、と思うと、私は絵の稽古をやめて表の格子の内らまで駆け出しては、この流しに聞きとれたものだった。
 その頃の祇園の夜桜は、今に較べるともっともっといい恰好だったが、桜の咲く頃など祇園さんの境内に茣蓙を敷いて、娘に胡弓を弾かせて自分の三味線と合わせてることもあったのを記憶してる。後ろにはお婆さんがいた。見れば人品も卑しくない。屹度《きっと》元は由緒ある人の落ちぶれたものに相違ないとも思わせた。
 こうしたしんみりした味なども、この頃の円山では味わえなくなってしまった。あの大声のラジオや蓄音機などというような唯騒々しいばかりのものなど素《もと》よりその頃はないので、こうした親子連れの町芸人の芸などもしんみり聞けたのだった。
 夏の磧《かわら》の容子にしても味があった。川幅がもっと広くて、浅い水がゆるゆると流れていた。四条の擬宝珠の橋の上から見下すと、その浅い川の上一面の雪洞《ぼんぼり》の灯が入って、よく見ると雪洞は床几に一つずつ置いてあるのだが、幾組も幾組ものお客さんがさんざめいている。藤屋とい
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