う大きな料理屋が橋の西詰にあって、そこから小さな橋伝いに床几に御馳走を搬んで行く、芸妓や仲居やの行き来する影絵のような眺めも又ないものではあった。
そうした床几の彼方此方には、魚釣りがあったり馬駆け場があったり、影絵、手妻師があったり、甘酒や善哉《ぜんざい》の店が出されていたり、兎に角|磧《かわら》一杯そうしたもので埋まってしまっていた。
橋の下や西石垣の河ッぷしにも、善哉やうきふ[#「うきふ」に傍点]の店が出ていて床几に掛けられるようになっていた。
祇園祭にしても、あの頃は如何にも屏風祭らしい気分が漂っていた。この頃のように鉄のボートなどの篏まった家などなく、純粋な京式な家ばかりだったので、お祭頃になると建具をとりはずしてしまって、奥の奥まで見透ける部屋々々に、簾が掛かっており雪洞が灯されてい、その光は今の電灯などに較べると何とも言えず床しくええものだった。
そうした町中や店先に見る女の風などにしても、その頃はまだどっちかと言えば徳川時代の面影を半ばは残して、一入《ひとしお》懐かしいものがあった。
この間帝展に出品した「母子」は、その頃への私の思い出を描いたものだが、い
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