いのことだから、町中も大変静かだったので、そんなものが始まると、あッ又やあさんがやったはる、というのでかど[#「かど」に傍点]先には人が何人も何人も立停って立聞きするという有様だった。
 この辺は立売町で、やあさんは立売町の小町娘だった。

 その頃の町中はほんとに静かだった。よく人形芝居が町を歩き廻り、町角には浄瑠璃語りが人を集めてもいた。真似々々といって、その頃評判の伊丹屋や右団次の口跡《こうせき》を、芝居でやるその儘の感じを出して上手に真似る人がいた。ちょっと役者顔をした男だったが、私の母の話によると、元は市川市十郎と一緒に新京極の乞食芝居の仲間だった人だということで、それがいつの間にか零落して町芸人になってしまったということだった。

 私なども娘時代には地唄の稽古をしたものだ。この頃では地唄など一向|廃《すた》ってしまったけど、その頃の町での稽古物というとまず地唄だった。
 四条通りから堺町に越した頃、私はもう絵を習いかけていたが、その頃よく宵の口に、時をきめてかど[#「かど」に傍点]を地唄を流して来る六十余りのお爺さんがあった。それが大変うまく、緩急をつけて、なかなかちょっ
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