まった。口許の美しさなど、この頃では京の女の人から消えてしまってると言いたい。
あの辺を奈良物町と言った。
丁度四条柳馬場の角に、金定という絹糸屋があって、そこにおらいさんというお嫁さんがいた。眉を落していたが、いつ見てもその剃り跡が青々していて、色の白い髪の濃い、襟足の長い、何とも言えない美しい人だった。
お菓子屋のお岸さんも美しい人だった。
面屋のやあさんも評判娘だった。面屋というのは人形屋のことで、お築という名だったが、近所ではやあさん、やあさんと言ってた。非常に舞の上手な娘さんで、殊に扇をつかうことがうまく、八枚扇をつかうその舞は役者でも真似が出来ないと言われたくらいで、なかなかの評判だった。
その頃の稽古物はみな大抵地唄だったが、やあさんのお母さんという人がやさしい女らしい人だったが三味線がうまくて、よく母娘で琴と三味線の合奏やら、お母さんの三味線に娘さんの舞やらで楽しんでいた。
夏など、店から奥が透いて見える頃になると、奥まった部屋でそうしたものが始まるのが、かど[#「かど」に傍点]を通ると聞こえてくる。今のように電車や自動車などなく、ようやく人力車が通るくら
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