京のその頃
上村松園

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)裂《きれ》で

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一向|廃《すた》って

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
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 私は京の四条通りの、今、万養軒という洋食屋になってるところにあった家で生まれた。今でこそあの辺は京の真中になって賑やかなものだが、ようやく物心ついた頃のあの辺を思い出すと、ほとんど見当もつかない程の変りようだ。
 東洞院と高倉との間、今取引所のあるところ、あすこは薩摩屋敷と言ったが、御維新の鉄砲焼の後、表通りには家が建て詰っても裏手はまだその儘で、私の八つ九つ頃はあの辺は芒の生えた原ッぱだった。

 万養軒の筋向うあたり、今八方堂という骨董屋さんのある家に、小町紅という紅屋さんがあった。今でも小町紅は残ってるが、その頃の小町紅は盛んなものだった。
 その頃の紅は茶碗の内側に刷いて売ったもので、町の娘さん達はてんで[#「てんで」に傍点]に茶碗を持って刷いて貰いに行った。その紅を刷いてくれる人が、いつも美しい女の人だった。
 むくつけな男がいかつい手つきで刷いたのでは、どうも紅を刷くという感じが出ない。小町紅ではお嫁さんや娘さんや、絶えず若い美しい女の人がいて、割れ葱に結って緋もみ[#「もみ」に傍点]の裂《きれ》で髷を包んだりして、それが帳場に坐っていて、お客さんが来ると器用な手つきで紅を茶碗に刷いていた。そうしたお客さんが又、大抵みな若い女の人達なので、小町紅というと何とも言えない懐かしい思い出がつきまとう気がする。
 この頃の口紅というと、西洋から来たのだろうが棒になってるのだが、昔のは茶碗の内らに玉虫色に刷いてあるのを、小さな紅筆で溶いてつけたものだった。つけ方だって、この頃では上唇も下唇も一様に真ッ赤いけにつけてしまって、女だてらに生血でも啜《すす》ったようになってるのを喜んでる風があるが、あれなども西洋かぶれすぎると思う。
 紅は矢ッ張り、上唇には薄紅く下唇を濃く玉虫色にしたところに何とも言えない床しい風情がある。そんな紅のつけ方など時たま舞妓などに見るくらいになってし
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