います。家業柄、私の生まれ育ちましたのは、京都でもっとも繁華な四条御幸町でありました。一人の姉と共に、母の手一つで育てられたのでございます。
絵解きの手紙
口もろくに回らぬ時から絵が好きだったらしく、こんな笑い話があります。四つぐらいの時でした。お祭りか何かで、親戚の家へ一人で招ばれてゆきました。
その頃、木版画や錦絵を並べている店を私共は「絵やはん」と呼んでいました。「絵やはん」の前を通るとこれが目に止まり、絵がほしくてたまらなくなりました。しかし、幼いながら親戚の人に買ってというのは恥ずかしく、ようよう我慢していますと、丁度そこへ私の家の丁稚《でっち》が来ました。そこで紙に円《まる》をかき、真中に四角をかき、その間に浪の模様をかきました。これを六つ並べて、丁稚にこの絵の通りのものを、家から持って来てくれと頼みました。当時の文久銭は浪の模様がついておりまして、その絵は、文久銭六つで買えたものだったのです。口の回らぬところも、絵筆の方は回ったようでありまして、この意味が大人に通じ、皆に笑われたものでした。
帳場の陰で画ばかり描いている
七つで小学校に上
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