がりました。開智小学校という小学校でした。遊放の時間にも、私は多く、室の中で石板《せきばん》に絵を描いていたものです。友達から、「私の石板にも絵をかいておいて頂戴」と頼まれたのを覚えております。
 学校から帰ると、母から半紙をもらい、帳場に坐って、いつも絵を描いていました。母が買ってくれた江戸絵の美しい木版画を丹念に写したりしたものです。賑やかな四条通りの店ですから、お茶を買いに来るお客さんは引きも切りません。
「あすこの娘さんはよほど絵が好きと見えて、いつも絵ばかり描いてはる」と評判になっていたようです。
 お茶を買いに来るお客さんの中には、いろいろの人がありました。頭が尉《じょう》のような白髪のお爺さんが、私の絵の好きなことを知って、度々極彩色の桜の絵を見せてくれました。この老人は、桜戸玉緒といって桜花の研究者だったのです。また文人画の修業に京都に来ているという画学生から、竹や蘭の絵をもらったこともありました。
 こうして私の絵好きは、親類知人の「女の子は、お針や茶の湯を習わせるものだ、女の子に絵など習わしてどないする」という非難もよそに、「本人の好きなことを、伸ばしてやりたい」と
前へ 次へ
全28ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング