夢寐《むび》にも、思いつづけて来たとはいえ、御恩命を拝してから二十一年の歳月を経たことは、誠に畏れ多く相すまぬ次第ではございますが、はからずも、その間、二十年の研究をこの絵に盛ることができましたので、私といたしましては、相すまぬながら、長く宮中にお残しいただく絵として、心残りなく描かせていただいたという心持がしております。

     生いたち

 どうして私が生涯を絵筆を持って立つようになりましたものか、ただ、私は小さい時から絵が好きで好きでたまりませんでした。この血は母方から伝わったものに違いありません。母も絵心のある人でした。母方の祖父も絵が好きでありました。その兄弟に柳枝と号して俳諧をよくしたものもおりました。父は、私が生まれた年に亡くなりました。
 家業は父から受け継いだ茶舗を、母が営んでおりました。祖父は、大阪町奉行であった大塩後素の甥に当たりまして、京都高倉の御召呉服商長野商店の支配人を永らくいたしておりました。祖父は、一時、主家の血統が絶えようとした時、縁つづきの人をさがし出し、この人を守り立てて主家再興に尽くしたというような、誠実と、精励をそなえた人であったそうでござ
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