ん。心を大きくして大局から物を考えると、何も一回ぐらい文展に出さないでも来年うんとよいものを出せばよいじゃないか、まあ今年はやめなさいやめなさい」と。
自分の絵に対してそれほどの自信とうぬぼれを持ってみよと教えたのでございましょう。母は度々、竹をスパッと割るように、私の心機を一変してくれることがありました。その時は、「人形つかひ」の構想が、できかかっていたのですが、それをまとめて描き上げるには、期日が迫りすぎておりましたので、その年の文展は、母の言葉通り思いとどまったのでございました。この「人形つかひ」は、翌年、前から依頼されておりました新古美術展へ出品いたしました。これはイタリーで催されたものでございました。
母は一昨年(昭和十年)八十六の高齢で亡くなりましたが、七十九歳で脳溢血に倒れるまでは、医者にかかったことがなかったほど健康な人でした。七年間、半身不随でおりましたが、亡くなるまで頭はしっかりしておりました。毎日沢山の新聞に全部目を通しておったようでございます。
私が今日六十三の年をして、画家としてこれだけの精進ができますのは、この母の驚くような健康体と克己、勤勉さをもらい
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