したが、少しぐらい、上がり下がりがあろうと、本人はよい心持で精一杯謡っているのですから、何の心配もなく楽しいのでございます。

     八方に耳と目を働かす

 画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます。若い時は市村水香先生に漢学を、長尾雨山先生に漢詩の講義など聴いて勉強いたしました。時代時代の衣裳の研究に、染色祭の時などいろいろな陳列がありますから見にまいります。打掛、加賀友禅、帷子《かたびら》などが見られます。芝居へも行きますが、他の方のように気楽に楽しんで見られず、いつも肩を張らして見てきます。美しいある瞬間を、スケッチに捉えます。衣裳風俗も覚えてまいります。時には映画も、見にまいります。猛獣の写真、海底の採魚など生態がわかって、面白うございますし、美しい景色の画面と人物は、よい参考になるものでございます。今、流行の衣裳の陳列会も見逃しません。美術クラブ、公会堂、八坂クラブなどで催されますが、忙しい時は、日に三ヵ所も見て回ることがございます。
 ずっと見通しますと、今年の最新流行の色はこう、古典味のある流行色はこうと、よくわかります。また、図案の会、陶磁器の会、彫刻の会なども見て置きます。

     絵三昧の境地

 絵筆を持って五十年、今の私は筆を持たない日とてはありません。何の雑念もなくひたすら画の研究にいそしんでおります。筆を持っている時が一番楽しく、貴く、神の心にピッタリ適《かな》っているような、大丈夫の心持でございます。絵三昧に入っているのであります。画壇の揉《も》めごとも、対岸の火事を眺める気持がして、その渦中には入れません。この境地に入るまでには、人生には雨があり風があり、沈むばかりに船が傾くことがありますように、私もさまざまな艱難辛苦の時を経てまいりました。ある時は芸術的な行き詰まりに、ある時は人間的な悩みに、これほど苦しむなら生きているより死んだ方が、楽に違いないと本気で思ったことが、幾度もございました。そんな所を、幾度も通り抜けますと、人はほんとうに、強く強く生きられるものでございます。今思いますと、若い時の沢山の苦しみが積み重なり、一丸に融《と》け合って、ことごとく芸術的に浄化されて、今の境地が作り出されたのではないかと思われてなりません。
 私の心は一日中画のことでいっぱいです。夜は殊にそうでご
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