ざいます。私の一日のうちで、一番貴い時は、眠りに入る前の四、五十分の時です。若い時から私は床に入ると、新聞か雑誌をちょっと見なくては眠れない習慣があります。しばらく、読んでいると、眠気がさして来る。そこでスィッチをひねります。体を伸ばして静かに手を胸に組んで目をつぶります。そのまま眠ってしまうかというとそうではなく、しばらく静かにしておりますと、閉じた目の前に美しいさまざまな色彩が浮かぶ、昔見た美しいとじ糸のついた絵日傘が浮かぶ、いつか見た絵巻物が鮮やかに展開する。そうしていつかしら私はぐっすり眠ってしまいます。また次の夜も同じように見ます。こうして一週間もたつと、制作のヒントが具体的にこの夢現《ゆめうつつ》の中に得られるのが度々でございます。
「今夜は早く寝ましょう」と人にもいって、平常の習慣で、画室の戸締まりをしに入りますと、昼間描いた絵がふと目に入ります。つい筆をとって一筆《ひとふで》加える。そばの参考の本をめくって見る、また筆を加える。気がついた時は夜は深く更けてしまっております。
 今の私は、少しでもよい画を描きたい、よいものを遺してゆきたいと思うほか何も考えておりません。禅の言葉に、「火中の蓮華《れんげ》」ということがあります。その深い意味は知りませんが私はこう思っております。火の燃えさかる中にカッと開いている蓮華の状《さま》は、如何にも壮《さか》んで勇猛心に燃えているように思われてなりません。私は、近来殊にこの勇猛心を持っております。齢《よわい》は傾きますが、私の画に対する勇猛心は、日毎に、強く燃えさかってゆくようでございます。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「婦人の友」
   1937(昭和12)年10、11月号
※底本で副題となっている「皇太后陛下御下命画に二十一年間の精進をこめて上納」は、初出誌においては最初の項目の見出しとなっています。
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月15日作成
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