、私の母は非常に丈夫な上に意志の強い人です。父と早く死別した後、姉と私とたった二人姉妹ではあったが、兎に角父の商売だった葉茶屋を続けて、そして私達を育ててくれました。
 その母の丈夫なのを遺伝してか、幸い私は丈夫な方だ。私は暑いのより寒いのが平気だ。だから十月頃かち三、四月頃までだと、私は随分よく根気が続く。喜久子姫の御屏風なども、ちょうど季節が私の躯にいい頃だったので先ず先ず押し通せたようなものの、六月七月となるとそうは根気が続きかねます。

 私は以前には杵屋六左衛門派の師匠に就いて、唄う方と弾く方と両方とも稽古したことがありますが、今はやめて謡曲だけ続けている。月に四回、金剛流の師匠に来て貰って、松篁《しょうこう》と嫁の多稔子《たねこ》と私と三人で稽古を続けている。私にはどうも絵以外のことだと、専門外の余技だという気がして打ち込んで熱中してやる気になれない性分がある。三味線にしても長唄にしても、最初は謡曲にしてもそういう風にズボラに考えていたが、近頃では、如何に余技にしてもどうせやるからには何か一つくらい懸命にやってみようという気になって、ちょうど女性ばかり六、七人が三月に一度ず
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