つ集って、三番謡の集りをするのがあるので、この頃謡曲に身を入れています。この次の会には小鍛冶の脇が私の役に振当てられたりしているが、出来ないまでもそうして役が当てられたりしてみると、多少身を入れて稽古をする気にもなる。上手な人のを聴いていると、節廻し一つにしても言うに言われぬ微妙な味がある。その抑揚《よくよう》の味のよさを、聴いて味わうだけでなく、むつかしいながら自分でもやってみようという励みが出て来る。
 こんな調子に、むつかしい味のものを出そうとする気持なり励みなりを考えてみると、形式はちがっても絵画の上に苦心している気持と同じ味のものがあるように思う。私は謡曲をやっていながら、それが廻り廻って絵の方にも役立っていると思うようになって来ました。画家だからと言って絵を描くばかりの一本調子では、どうも考え方にしても描き方にしても固苦しくなり窮屈になると思う。私が謡曲に身を入れたりしているのも、やはり元はといえば自分の芸術を少しでも成長させたいと思うからです。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31
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