行かないこともあるが、京都や大阪あたりの人達だと尚更、帝展などを見てそそり立てられて、自分の天分などのことも知りもしないで、ただもう軽い浮《う》ッかりした虚栄心に駆られて、画家になりたいというような気を起こす人も大分あるようですが、一人前になるまでには長い年月もいることだし、それには相当の資力も費《かか》るし、決して軽々しい思い立ちがすぐものになると思っては間違いです。――私はそういう意味の手紙を書いて、今までにも若い女性の方の画家志願者を大分思い止まらしたことがある。
全く女性の画道修業は難しい。随分言うに言われぬ忍耐が要《い》る。私などにしても、これまでに何十度|忌《い》ま忌《い》ましい腹の立つことがあったか知れない。それを一々腹を立てて喧嘩をしていたんではモノになりません。凝ッと押し堪えて、今に見ろ、思い知らしてやると涙と一緒に歯を食いしばらされたことが幾度あったか知れません。全く気が小さくても弱くてもやれない仕事だと思います。
余技に対する解釈に就いて
私はたいてい身体は丈夫な方です。これは老母譲りだろうと思っているが、老母は中風で昨今は寝込んでいる。けれど
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング