すことで、いろいろと新村博士からお話があり、更に全然新規に揮毫《きごう》しないでも途中まで進んだものでもあれば、そのようなものを完成したのでもよい、というような懇切なお話もあったので、ふと私はその当時|巴里《パリー》展覧会に出品している作品で、年末までには戻って来るはずになっている二曲片双の屏風を思い浮かべました。それは、先年聖徳太子奉讃展覧会に出陳《しゅっちん》した、「娘」と題する徳川中期頃の町娘二人を描いたものでした。そのことをお話して、その片双を描き添えて一双にすれば、辛くお間にあいそうに思ふ旨を述べ、結局お引受け申し上げたのでした。

 新秋に入ると共に私は新しい作の着想や構図に思いを潜めた。そして、すでに出来ている徳川中期頃の町娘なのだから、それに取合せるのにはやはり風俗は同じ頃がいいと思い、人物の年輩は嘗《かつ》て帝展に出品した後ろ向きに立った年増の婦人を想い浮かべた。品のある優雅な町方の上流婦人が、暮れかかる庭先の床几に掛けて、咲き乱れた萩の花を眺めている図、そう腹案を作ってちょうどその頃咲きかけた萩の花を写そうと、私は連日朝から高台寺に通い出したのでした。
 薄鴇色《う
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